明けましておめでとうございます。
皆様にとって良い年となりますように。
おせちにお飾り、お年玉、いつもと違うハレの日を子どもも感じているのでしょうか?
お正月の親子のお出かけ風景がいつもより華やいで感じられます。
子どもが親に嬉しそうにまとわりつく姿に、平安時代の古い歌が浮かんできます。
(脳科学者養老孟司著『遺言。』で紹介され、私なりに深く納得したのです。)
遊びをせんとや生まれけむ、戯(たわむ)れせんとや生れけん
遊ぶ子どもの声聞けばわが身さえこそ動(ゆる)がるれ
『梁塵秘抄』後白河法皇編
子どもが無心に楽しそうに遊ぶ姿は、私たち大人の童心を揺るがせ和ませてくれます。幸せにもなりますね。
今年もそんな出会いを楽しみたいと思います。よろしくお願いいたします。
先日5歳の孫が就寝前、「○○君にお腹けられたの、△△君にも」と幼稚園の出来事を悲しそうに話しました。泣かなかったらしく誰も気づかなかったようです。
「先生に言わなかったの?」と尋ねた母に、「先生に言うと叱られてかわいそうだから言わなかった。」とぽろぽろ涙したとか。
就寝前までずっとこらえていたのでしょうか。
健やかな眠りにつくために母親に言わずにはいられなかったということでしょうか。
5歳児の切ない体験です。
ところでこの一連の言動には、子どもなりの耐える力、表現する力を感じると同時に、「泣くのは恥ずかしいこと、いけないこと」という価値観がしっかり組み込まれているのを感じます。
『泣く』ことについて、先人の言葉を紹介します。
・『日本人が泣くことを忘れたのは問題ではないか』柳田國男「涕泣史談」
・『悲しみを無視する限り悲しみは心から離れない。 悲しいときは悲しいと思え、
悲しい悲しいと心の中で呟け、人にも語れ、語る人がいないときは大声で叫べ』
本居宣長「石上私淑言」
また作家の五木寛之氏は、『泣くことと笑うことは両輪』と言っています。
「眠れぬ夜のために1967‐2018500余りの言葉」
(柳田國男「涕泣史談」、本居宣長「石上私淑言」が紹介されているようです)
先人も現代人も、心理療法の人たちも言うように、私たちはつらく悲しいとき『泣く』ことはとても重要なのです。
5歳児ですので、その場で泣いてもよかったのだけれど、まあ寝る前に泣けてよかったと思うのです。
その日のつらい体験を親に伝えることで気持ちが少しは楽になったことでしょう。
泣いている自分を、ただそのまま抱きしめてくれる人がいたら、この上なく嬉しく心強いですね。明日へのエネルギーもわくことでしょう。
さて1月の予定です。
【ぷらっと】1月12日(土)ひらつか西海岸デポーカフェ11:30~15:30
デポーがお休みのため2週土曜日に変更します。
【こゆるぎ】1月20日(日) 崇善公民館和室 10:30~12:00
【ふれあい】1月20日(日) 崇善公民館和室 13:30~15:00
【ちゅうおうFESTA】1月27日(日)中央公民館3階和室 10:00~15:00
来てくださいね。お待ちしています。
大ホールロビーでは
見て、さわって楽しんで♪ドイツゲームの販売いたします。
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